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大阪地方裁判所 昭和61年(タ)17号 判決

原告

甲山春子

原告訴訟代理人弁護士

大槻守

木村保男

的場悠紀

川村俊雄

松森彬

中井康之

福田健次

被告

乙川義一こと

丙竜義

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原・被告間の長女花子(日本名・乙川花子、昭和五三年二月二一日生)の親権者を原告と定める。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一  原告は主文と同旨の判決を求め、別紙二のとおり請求の原因を述べた。

二  被告は、公示送達による適式の呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、請求の原因一ないし八記載の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

二(離婚請求について)

右認定の事実によれば、被告の行為は韓国民法八四〇条二号(法例一六条本文)、日本国民法七七〇条一項二号(法例一六条但書)の悪意の遺棄に該当することが明らかであるから、原告の離婚請求は理由がある。

三(親権者の指定について)

本件離婚に伴う子の親権者指定については、法例二〇条により父の本国法すなわち韓国民法によるべきところ、同法九〇九条によると、右指定に関しては法律上自動的に父と定まつており、母が親権者に指定される余地はない。しかしながら、本件では、前掲各証拠及び前認定の事実によると、原・被告は婚姻当時日本に居住し、婚姻の届出、婚姻生活等もすべて日本でなされ、長女花子を含む二人の未成年の子もいずれも日本で出生し、父母の監護養育を受けてきたところ、父である被告は子に対する扶養能力を欠くうえ現在ではその行方も知れない状態であり、扶養能力のある母たる原告が二人の子を監護養育しているものであつて、父たる被告は名目上親権者となり得てもその実がなく、実際上親権者たるに不適当であることが顕著であり、このような場合に猶韓国民法の右規定に準拠するときは、扶養能力のない父たる被告に子を扶養する親権者としての地位を認め、現在実際に扶養能力のあることを示している母たる原告から親権者の地位を奪うことになつて、親権者の指定は子の福祉を中心に考慮決定すべきものとするわが国の社会通念に反する結果を来たし、ひいてはわが国の公の秩序又は善良の風俗に反するものというべきである。そこで本件の場合、法例三〇条により右韓国民法の適用を排除し、わが民法八一九条二項を適用して、原告を親権者と定めることとする。

四よつて、原告の離婚請求を認容し、未成年の子の親権者を原告と指定することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官三浦州夫)

別紙二請求の原因

一 原告と被告は昭和五一年一二月一五日婚姻の届出をなした。

尚、右婚姻届出がなされる以前の昭和四六年頃より、原告と被告は、いわゆる内縁関係にあり、昭和五〇年二月二八日には原被告間の子供として一男が出生している(但し、一男は婚姻届出前に生まれ、その後も認知がなされていない為、現在戸籍上原告の非嫡出子となつている)。

二 原告と被告は、入籍後間もない昭和五二年二月枚方市〈住所省略〉に土地建物を購入し、同所で結婚生活を送ることとなった。

三 ついで、昭和五三年二月二一日長女丙花子(日本名乙川花子)が出生した。被告が韓国籍であつた為長女丙花子も韓国籍を取得した。

四 被告は昭和五四年頃、それ迄勤めていた「○○電気」を退社し、独力で電気工事請負業を始めた。しかし、右が半年足らずで失敗したこともあつて、その頃から被告の勤労意欲は著しく減退していつた。その後野菜や鮮魚の行商を始めたが、これも長続きせず、やがてたまに仕事に出る程度となり、月収も五〜六万円に満たない程度となつた。こうして被告はその後パチンコや麻雀等の遊興にふける生活が続き、家計を顧みることも無くなつた。

五 かかる状況のなか、原告は苦しい家計をやりくりし、どうにか生活を維持してきたが、昭和五八年六月頃には被告が住居である前記土地建物を売却したいと言い出すようになつた。

原告としては、生活の本拠だけは維持したいと考え、その為に出来る限りの努力を続けていただけに、右心情労苦を理解せず、また自らの生活態度につき何ら反省もしないまま、家の売却を言い出す被告に対し絶望し、離婚を決意するに至つた。

六 そこで、原告は昭和五八年六月一〇日大阪家庭裁判所に調停を申立てたが、被告が不出頭の為、同年一〇月一三日右調停は不成立に終つた。

七 結局昭和五八年一一月、被告が前記土地建物を売却したこともあつて、以後原告と被告は別居することとなつた。即ち、原告はその後子供二人と共に現住所の雇用促進住宅に転居し、被告は近くの文化住宅を借りて住むようになつたのである。

しかし、その後、間もなく被告は右文化住宅を引き払い、以後、昭和五九年二月子供の誕生日を祝う為に原告方に来た以外には、全く連絡もなく所在も不明である。

八 原告は、昭和五八年一一月以降、縫製会社に就職し、収入を得、一男、丙花子の二人の子供を養育監護し現在に至つているが、この間被告からの生活費の援助等も全くない。

九 被告のかかる行為が韓国民法八四〇条第二号、日本国民法七七〇条二号の悪意の遺棄に該当することは明らかであるので、原告と被告との離婚を求めて本訴に及んだものである。

尚、長女丙花子の親権者については、原告が従前より養育監護しており、同人も原告と生活することを希望していること、一方被告には、実際上養育能力がないこと、同人が年少であり、母親である原告が育てる方が子供の養育環境上も望ましいこと等から原告に指定されるよう併せて求めるものである(韓国民法では、離婚後の母親が子供の親権者になることを認めていないが、右が我国の公序良俗に反するものであり、親権者の指定に際しては日本法が適用さるべきことは、最判昭和五二・三・三一民集三一巻二号三六五頁等が認めるところである)。

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